2020/6/20訂補

汽車の走っていた頃
C11 80にスポットをあてて

🔳蒸気機関車:蒸気機関を動力源として動く機関車で、Steam Locomotiveを略してSLと呼ばれる。明治時代には陸蒸気(おかじょうき)とも呼ばれた。主な構成要素は以下である

①石炭等を燃やして高温の燃焼ガスをつくる火室

②熱エネルギーを水に伝え沸騰させて高温高圧の蒸気を発生させるボイラー

③シリンダーに送る蒸気を制御する弁等の装置

④蒸気の力を往復運動に変えるシリンダー

⑤往復運動を車輪の回転に変えるクランク機構。詳しいいことはWikipedia

▢C11型蒸気機関車:老朽化した種々雑多な支線・区間運転用機関車群の代替用として、1930年に設計されたC10形の改良増備車として鉄道省が設計・製造された軸配置1C2の小型タンク式蒸気機関車※1である。津山線等の丙線にも入線できるよう、軸重の軽減をはかった。電気溶接技術も導入された優秀な機関車。

主な仕様

全長12,650 mm、全高3,900 mm、最大軸重12.40 t(第3動輪上)、総重量66.05 t(運転整備時)

最高運転速度85 Km/h、定格出力610 PSである。

​※1:石炭機関車本体に積載する形態の機関車で、小型のものが多く小回りが効く上、後部の視界も良くバック運転が容易であることから路線を選ばず使用ができることである。一方、燃料積載容量が少ないことから長距離運行には適さない。石炭・水を別の炭水車に積載する機関車をテンダー形機関車といい、姫新線のC58はこの形。

C11形機関車の詳しいことはWikipedia

▢C11 80:昭和10年日立製作所笠戸工場(山口県下松市)で製造、当初は四国松山機関区配置、その後広島の備後十日市(三次)機関区を経て、津山へは昭和23年に配置され、昭和46年の無煙化まで、県北の“汽車”として走り続け(津山線・吉備線で貨客列車を牽引)、その間には、昭和37年の岡山国体のお召し列車の本務機として牽引。そして昭和46年3月24日の「さよなら列車」を牽引した。昭和48年、会津若松に転出、そこでは、日中線においても、「さよなら列車」を牽引、二回のラストランをした名機として名を馳せた機関車である。昭和50年に廃車となり、その後津山へ回送されたのち、市が当時の国鉄から無償貸与を受け、市は600万円で、移転・整備し、津山市南小学校に静態保存され、国鉄OBの皆さん、関係者が、保存に尽力されている。

​ちなみに、お召し列車は、昭和42年の全国植樹祭の際にも、金川~津山~勝山でC11 251(本機)で運転されている。現在は、津山駅前広場に展示

▢SLの「C」や「D」?(A-NN-XXX(SLの車両番号))

A:動輪の数、Cは「3」、Dは「4」、

NNは型式を示し、1~49はタンク、50~99はテンダー、

XXXは製造番号で、製造順に付与される。代表的な機関車として「シロクニ」と呼ばれるC62、「デゴイチ」のD51があるが、動輪は多い方が牽引力が大きくなっていいが、車体が大きくなる。そこで、旅客用のC62は、車輪径1750mmが3軸、貨物用のD51のそれは1400mmが4軸となって、適正化を図っている。蒸気シリンダーの性能が同じであれば、動輪径が大きいことは、1回転で進む距離が多くC62の方がスピードが出る為、優等列車等の牽引用となっている。一方、D51はスピードは劣るものの、レールに設置する車輪数が多く牽引力に優れており、貨物用となっている。動輪径が大きいと重心が高くなり、安定性が心配なのだが、そこは配慮されているらしい。幹線系では、機関車を使い分けるが、ローカル線では、同じ機関車で、旅客・貨物の牽引を行う。いずれにしても、ドラフト音や、煙、レシュプロの機構がよく見える、愛すべき車両には違いない。

思い出のアルバム
C11 80
お召列車編
C1180

昭和37年10月22日

岡山国体のお召し列車で、本務機を務めた同機

「みまさか鉄道ものがたり」より

ラストラン編

昭和46年3月24日

津山線“さよなら列車”牽引の準備をする同機

津山機関区 扇形庫を背景に  河西さん撮影

ラストラン 亀甲.jpg

昭和46年3月24日

津山線“さよなら列車

亀甲停車中  河西さん撮影

C1180 さよなら列車

昭和46年3月24日

津山線“さよなら列車”牽引の同機

給水塔があり、福渡駅か

昭和46年3月24日

津山線“さよなら列車”牽引の同機

法界院駅  埼玉・光野さん撮影

C11 80 ラストラン

昭和46年3月24日

津山線“さよなら列車”牽引の同機

備前原~法界院

 埼玉・光野さん撮影

津山機関区のSL

運用機関車について:一時期、C56、C12が配置されており​津山線もテンダー車C56の運用もあった模様。

​■鉄道網形成期

昭和7年:因美線全通

昭和11年:姫新線全通

​     扇形機関車庫完成

津山機関区 昭和12年

写真の蒸気機関車は、そのプレート№「78637」より​、大正時代に製造された、8620型。当時8700型もあったため、670輌も製造されたその製造番号の付与は、八十進法で、製造順は、万の位の数字×80+(下二桁の数字ー20)+1となり、当該機は578番目に製造されたもの

昭和12年の津山機関区

TADASHI-EMI  Phot Libraryより

​■昭和24年国鉄発足時

配置

C11

8620 

:12輌

​:17輌

C11 64

京都鉄道博物館のC11

8630 SLスチーム号

京都鉄道博物館の8620

(11番目の製造)

​■~昭和46年(無煙化)

配置

C11とC58

運用

C11:津山線

C58:姫新線

津山線下弓削を行くC11

津山線下弓削を行くC11 昭和36年

​(久米南町提供)

姫新線楢原C58

姫新線楢原を行くC58 昭和40年頃

​(美作市教育委員会提供)

C58 津山機関区.jpg

姫新線等で運用されたC58

​津山機関区で 撮影:河西さん

津山行 亀甲~佐良山.jpg

津山に向け走るSL牽引列車

​亀甲~佐良山  撮影:河西さん

C11重連で牽引中の列車

​亀甲駅  撮影:河西さん

​■客車(旧型客車)

旧型客車の配置については、こちらも

2017-3-5 ホハフ3002.jpg
2017-3-5吉ヶ原駅舎 (90).jpg

機関車が牽引する客車の外観は左の写真の様なもの(ブドウ色)。ドア閉め装置もなく、走っていても跳び降りることができた。一方トイレ、手洗い、デッキもあった。(オハ3512227姫新線で使われた後、片鉄で働いた:柵原ふれあい鉱山公園)

時刻表から眺める「汽車」
津山線昭和36年時刻表

戦後直後は。蒸気機関車牽引の列車(汽車)のみだったが、津山線にも昭和30年頃から、気動車(ジーゼル(ディーゼル)カー)が導入され、昭和36年にはSL牽引の列車は4往復(赤枠、貨物列車も4往復)。気動車で、岡山~津山を概ね1時間半で結んでいたものが、汽車では2時間を要した。同年の因美線、姫新線勝山方には気動車が運用されていたが、姫新線の佐用方は、姫路から広島、三次、新見津山を結ぶ汽車のみで、準急・急行以外での気動車の運行は昭和40年代になってからか。

戦前にも、キハが走っていた!

中國鐡道は、台頭するバスに対抗するため、運用効率の高い、ガソリンカーを導入、津山線にも導入。岡山~津山2時間を切る時間短縮に貢献した

昭和15年の時刻表はこちら

ディーゼルに換わった「汽車」
DE10ディーゼルきかんしゃ

昭和46年の無煙化後の列車の牽引を担ったのは、DE10型のディ―ゼル機関車。推測だが

気動車の数が十分でない為、上の旧型客車牽引の列車が走っていた。昭和50年代に入りキハ40系(現在の津山線主力車)の増備もあり、最後は1往復になっていた客車列車も昭和57年6月30日限りで引退。気動車に置き換わった。おりしも伯備線電化で,、ピカピカの381系やくもが運転開始する前日。(伯備線の気動車が転用可になった?)。姫新線の姫路方は、レッドトレインと呼ばれた50系客車(気動車改造のキハ33が扇形庫に保存)運用されたが、津山では最後まで旧型だった。

DE10型ディーゼル機関車:ローカル線の貨客列車牽引や入換用途を主目的として開発された全長14150mm、1250PS、最高速度85kmの中型ディーゼル機関車。昭和41年から昭和53年までに合計708両が製作され、日本各地のローカル線で蒸気機関車を置き換え、動力近代化を促進した。

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